01
補講・日程未定
なぜ決算をするのか
この回で分かるようになること
- 複式簿記が、何を記録するための方法として生まれたかを言える
- 株式会社が、航海ごとに出し合う形から、どう変わってできたかを言える
- 決算書が「いつからいつまで」で区切られている理由を、会社が終わらないことから説明できる
決算書には、なぜ「いつからいつまで」が書いてあるのか
第8回で、決算書を読みました。 トヨタ自動車の2025年3月期、資生堂の2024年12月期。あのときは、売上と利益の数字を見ました。
今日は、数字ではなく、その前に付いていた言葉を見ます。 「3月期」「12月期」です。
「2025年3月期」は、2024年4月1日から2025年3月31日までの1年間、という意味です。 決算書は、どれもこうしていつからいつまでの数字かを先に書いています。
この区切りを、決算期(または事業年度)と言います。 会社が数字をまとめる1回ぶんの期間のことです。
区切った期間ごとに、ここまでの成績をまとめて数えることを、決算と言います。
区切りがあるのは、当たり前に見えます。 でも、考えてみると不思議です。
お店を1つ始めたとします。 儲かったかどうかを知りたいなら、お店をやめたときに、手元に残ったお金を数えれば分かります。 始めたときより増えていれば儲かった、減っていれば損をした。これがいちばん確かな数え方です。
会社は、なぜそれを待たずに、1年ごとに区切って数えるのでしょうか。
今日は、この問いの答えを、何百年か前までさかのぼって探します。 答えは、2つの別々の流れが、ある会社で出会ったところにあります。
流れ① 記録の技術 — 1つの取引を、2か所に書く
1つ目の流れは、帳簿のつけ方です。
13世紀のイタリアで、新しい帳簿のつけ方が生まれました。 会計の歴史を調べた論文は、「複式簿記の技法が13世紀のイタリアで生まれたことは確実に分かっている」と書いています(Sangster 2016)。
それまでの帳簿は、お金の出入りを1か所に書くものでした。 今日いくら入った、いくら出た。おこづかい帳と同じ形です。
新しい方法は、1つの取引を2か所に書きます。
たとえば、仕入れた品物の代金を、あとで払う約束をしたとします。1か所目には「品物が増えた」と書きます。2か所目には「払う約束(借り)が増えた」と書きます。 同じ金額を、2つの側から書くわけです。
こうしておくと、2つの側の合計が必ず一致します。 一致しなければ、どこかで書き間違えている。誤りが見つかるしくみが、書き方そのものに入っています。
この方法を、複式簿記と言います。「複式」は、2か所に書く、という意味です。
文化祭の模擬店で、書いてみます
ここからの金額は、説明のための架空のものです。
模擬店で焼きそばを売るとします。 材料屋さんから、麺と野菜を1万円分仕入れました。代金は、文化祭が終わってから払う約束です。
おこづかい帳の書き方だと、この日は何も書けません。 お金が出ていないからです。でも、手元には1万円分の材料があって、1万円を払う約束もあります。 何も起きていないわけではありません。
2か所に書く方法なら、こう書けます。
- 1か所目 … 材料が1万円分増えた
- 2か所目 … 払う約束が1万円分増えた
文化祭の当日、焼きそばが売れて、3万円が入ったとします。 これも2か所に書きます。お金が3万円増えた。材料が1万円分減った(使い切った)。 そして、差し引きの2万円が、儲けとして増えた。
最後に、材料屋さんに1万円を払います。 お金が1万円減って、払う約束が1万円分なくなります。
どの日に止めても、「何がいくらあって、いくら借りているか」が帳簿から読めます。 おこづかい帳では、払う約束のようにお金が動いていないものが抜け落ちます。複式簿記は、それも書き残します。
何を記録したかったのか
複式簿記が生まれた理由は、いくつか挙げられています。
主な理由とされているのは、貸し借りの管理です。 論文は、「最も重要だったのは、貸した額と借りた額が分かり、確かめられ、正しいことを保証する仕組みで、信用を管理することだった」と書いています(Sangster 2016)。生まれた場所は、おそらくフィレンツェの銀行だろう、というのがこの論文の見立てです。
もう1つ、何人かでお金を出し合う組合が増えたことも、理由の1つとされています。 それぞれの出した分がきちんと記録されている、という安心が求められたからです。
「分け前で揉めないため」と一言で言い切れるわけではありません。 揉めないように持分を記録することは、理由の1つです。いちばん大きな理由は、貸し借りを正確に知ることでした。
パチョーリは、発明した人ではありません
複式簿記の話では、ルカ・パチョーリという名前がよく出てきます。 1494年にヴェネツィアで出た数学の本の中に、複式簿記のやり方を書きました。
「パチョーリが複式簿記を発明した」と書かれていることがありますが、そうではありません。 複式簿記は13世紀にはもうありました。会社全体の帳簿を複式簿記でつけた、確かめられている最古の例は、13世紀の最後の年のものです(Sangster 2016)。
パチョーリの本は、それより200年ほどあとです。 パチョーリは、すでに使われていたやり方を、印刷した本で説明した人です。
流れ② 出資の形 — 航海ごとに出し合い、帰ったら分ける
2つ目の流れは、お金の集め方です。
時代と場所が変わります。 16世紀の終わり、オランダです。
オランダの商人たちは、1595年から、アジアへ香辛料を買いに行く船を出し始めました。 7年のあいだに、別々の航海で合わせて80隻を送っています(Gelderblom ほか 2012)。
アジアまでの航海は、長くて危険です。 船が沈むかもしれない。海賊に遭うかもしれない。1人のお金で船を出すと、沈んだときに全部を失います。
だから、何人かでお金を出し合いました。 1人あたりの出す額が小さければ、沈んだときに失う額も小さくなります。
この頃の出し合い方には、決まった形がありました。
- 航海の前に、何人かでお金を出す
- 船を出す
- 船が帰ってきたら、積んできた香辛料を売る
- 売れたお金を、出した額に応じて全員に分ける
- そこで終わり
1回の航海が、1つの商売でした。 船が帰ってきて、全部を売って、分けたところで終わります。儲かったかどうかは、その時に手元のお金を数えれば分かりました。
3人で出し合った航海を、数えてみます
ここからの金額も、説明のための架空のものです。
Aさんが100、Bさんが200、Cさんが300を出して、合わせて600で船を出したとします。 船が無事に帰ってきて、積んできた香辛料が1200で売れました。
分け方は、出した額の割合です。 Aさんは全体の6分の1を出したので、1200の6分の1で200を受け取ります。Bさんは400、Cさんは600です。全員が、出した額の2倍を受け取りました。
ここで、商売は終わりです。 船も売ってしまえば、残るものはありません。「儲かったかどうか」は、600が1200になった、という1行で分かります。
もし船が沈んだら、3人とも出した分を失います。 Aさんが失うのは100です。1人で600を出していたら、600を失うところでした。
冒頭の「お店をやめたときに数える」と、同じ形です。
うまくいった航海の出資者は、次の航海にまた出資しました。 出資を、航海から航海へ乗り換えていったのです(Gelderblom ほか 2012)。
ここで、順番について1つだけ断っておきます。 流れ①の複式簿記のほうが、300年ほど先です。そして、お金を出し合う組合は、複式簿記が生まれた13世紀のイタリアにもありました。 2つの流れは、どちらかがもう一方を生んだのではなく、別々に育ってきたものです。
二つが合流する — オランダ東インド会社
1602年、オランダで、アジアとの貿易をする会社が1つにまとめられました。 オランダ東インド会社(正式には連合東インド会社)です。別々に船を出していた商人たちが競い合うと、全体が弱くなる。 そこで国が1つの会社にまとめました。
この会社も、はじめは「航海の連続」として作られました(Gelderblom ほか 2012)。お金の集め方は、それまでと大きくは変わっていません。
会社を認めた文書(特許状)には、こう決められていました。 会社は21年続く。ただし10年ごとに、総決算をする。 そのときに、抜けたい人はお金を引き上げてよい(特許状 第7条)。
つまり、10年たったら一度全部を数えて、分けて、終わる予定でした。 航海ごとに分けていたのを、10年ぶんまとめて分ける。形は、流れ②のままです。
ところが、この会社はアジアで砦を築き、船団を持ちました。 砦は、売って分けることができません。全部を数えて分けて終わる、ができなくなりました。
1612年、国は、その年に予定されていた清算をしなくてよいと認めました(Gelderblom ほか 2012)。ここで、会社は終わらないものになりました。
終わらない会社には、2つのしくみが要りました
会社が終わらないと、出資した人はお金を取り戻せません。 そこで、出資の権利(株)を、他の人に売ることで取り戻す形が使われました。この会社の株は、最初から他人に渡すことができました。
もう1つは、第11回で見た有限責任です。 株主が失うのは、出したお金まで。この会社の株主には、最初からありました。 経営する側(取締役)にまで広がったのは1623年です(Gelderblom ほか 2012)。
株を渡してお金を集め、株を持つ人が会社を持つ形を、株式会社と言います。
第12回では「会社」とだけ書きますが、同じものです。
この会社は、はじめから完成した形で生まれたわけではありません。 他人に渡せる株、終わらない資本、経営者の有限責任。この3つが、1602年から1623年までのあいだに1つずつそろいました(Gelderblom ほか 2012)。
終わらない会社は、区切って数えるしかない
会社が終わらなくなると、困ることが出てきます。
儲かったかどうかを、いつ数えればよいのでしょうか。
航海ごとなら、帰ってきたときに数えられました。 会社が終わるなら、終わったときに数えられます。終わらない会社には、その「とき」が来ません。
出資した人たちは、待たされました。 この会社の記録を保管しているオランダ国立公文書館の解説は、「株主は配当を非常に長く待たされ、10年後の資本の返還もなかった」と書いています。
最初の配当が出たのは1610年です。 会社ができてから8年後でした。しかも、その多くはお金ではなく、会社が買ってきたメース(香辛料の一種)で払われました。 香辛料を受け取らなかった人への現金の支払いは、1613年、1616年と延ばされました(Gelderblom ほか 2012)。
株主は黙っていませんでした。 1622年から1623年にかけて、株主が不服を申し立てます。その結果、株主の側から帳簿を確かめる役の人が置かれました。
会社全体の決算(総勘定)は、1622年のあとに初めて株主の側へ示されることになりました。 1647年からは、4年ごとになりました(オランダ国立公文書館)。
同じ3人が、終わらない会社に出資していたら
さきほどの3人が、今度は終わらない会社に600を出したとします。
1年たった日に、会社にあるものを数えてみます。 手元のお金、倉庫の香辛料、港にいる船、アジアの砦。そして、借りているお金。
航海ごとの商売なら、全部を売ってお金にしてから数えました。 終わらない会社では、売らずに、そのままの姿で数えることになります。倉庫の香辛料も、港の船も、砦も、まだ会社の中にあるからです。
ここで、流れ①の書き方が効いてきます。 1つの取引を2か所に書いてきた帳簿なら、ある日の時点で、何がいくらあって、いくら借りているかを読み取れます。売って終わるのを待たなくても、途中で数えられるのです。
ここで、冒頭の問いに戻ります。
終わらない会社は、途中で区切って数えるしかありません。 区切らなければ、儲かっているのかどうかを、出資した人は永遠に知ることができません。
これが、決算期の考え方の出どころです。 会社が続くから、ある時点で線を引いて、「ここまでの成績」をまとめる。会社の中にも、毎年の貸借対照表を作る担当が置かれていました(オランダ国立公文書館)。
さきほど見たとおり、途中で数えるのを支えたのが、流れ①の複式簿記でした。 別々に育った2つの流れが、ここでつながりました。
ここで迷う人が多い — 途中で数えた数字は、確かなのでしょうか
全部を売ってから数えるのに比べると、確かさは下がります。
倉庫の香辛料は、まだ売れていません。 いくらで売れるかは、売ってみるまで分かりません。砦は、そもそも売るものではありません。 それでも、区切った日には「いくらぶんあるか」を決めて数えることになります。
だから、区切って数えた数字には、見積もりが入ります。 航海ごとの「600が1200になった」ほど確かではありません。
それでも区切るのは、終わりを待っていられないからです。 出資した人は、自分のお金がいまどうなっているかを知りたい。会社を続けるかどうか、株を売るかどうかを、その数字で決めるからです。確かさを少し手放して、途中で知ることを選んだ、と言えます。
第8回で見た決算書の数字も、同じ性質を持っています。 決まった日に線を引いて数えた、その日の姿です。
「1年」は、あとから決まった
ここまでで分かったのは、「区切る」必要が生まれた理由です。 まだ「1年」ではありません。この会社の区切りは、10年の予定から始まって、実際には4年ごとでした。
1年という区切りは、あとから、少しずつ決まりました。
イギリスでは1856年に、会社の決まりの見本(模範定款)が法律と一緒に示されました。 そこには、少なくとも年に1回、前の1年の収支を株主の集まりに出すこと、貸借対照表を毎年作ること、そして帳簿は複式簿記でつけることが書かれています。ただし、これは会社が選んで使う見本でした。
日本では、明治のはじめの商法(明治23年)で、株式会社は半年ごとに決算をすることになっていました(高野 2021)。明治32年の商法では、財産の一覧と貸借対照表を「毎年1回、一定の時期に」作ることになります。 年に2回以上配当をする会社は、配当のたびに作ります。
いまの日本では、会社の決算書を作る期間は、1年を超えることができません(会社計算規則 第59条)。トヨタ自動車の「3月期」も、資生堂の「12月期」も、この1年です。
3月で区切るか、12月で区切るかは、会社が決めます。 決められているのは、1年より長くしてはいけないということです。
第8回と第12回へのつながり
第8回で見た決算書に、戻ります。
決算書が「いつからいつまでの数字か」を書いているのは、会社が終わらないからです。
第8回では、トヨタ自動車の営業利益が前の期より減っていたのを見ました。 「前の期より」と比べられるのは、同じ長さで区切っているからです。 区切り方がばらばらなら、比べることもできません。
第12回では、出資を受けたあとの持ち分を計算しました。 持ち分は、会社の一部を持っているということです。今日の話でいえば、終わらない会社の一部を持つ、ということです。
会社が終わらない限り、持ち分を取り戻す方法は、他の人に売ることです。 そして、その持ち分がいくらの値打ちなのかを知る手がかりが、区切って数えた決算書です。
第12回で出てきた出資者は、自分の出したお金がどうなっているかを、決算書で見ることになります。 400年前の株主が、帳簿を見せろと求めたのと同じ立場です。
この回で、決めなくていいこと
今日のうちに答えを出す必要はありません。
提出するものはありません。 次の回で使うこともありません。
休んだ人が困ることもありません。 この回で扱ったことは、ほかの回の前提になっていません。
残しておきたいのは、次に決算書を見たときの見方です。 「2025年3月期」という言葉を見たら、その会社が終わらないから、ここで線を引いている、と思い出してください。当たり前に見えた区切りの向こうに、待たされた株主と、2か所に書く帳簿があります。
この回の参考文献
The Genesis of Double Entry Bookkeeping
補講1で使いました。複式簿記が13世紀のイタリアで生まれたこと、主な理由が貸し借りの管理だったことは、この論文によります。英語の査読論文です。 パチョーリの本(1494年)の書誌も、この論文の文献欄で確かめました。
The Formative Years of the Modern Corporation: The Dutch East India Company VOC, 1602–1623
補講1で使いました。オランダ東インド会社が、航海ごとの出資から終わらない会社へ変わった経緯と、1610年の最初の配当の中身です。読んだのは査読前の版で、査読を経た版は Journal of Economic History 73(4), 2013 に載っています。
The Organization of the VOC(Introduction to the Archives of the VOC, inventory 1.04.02)
補講1で使いました。オランダ東インド会社の記録を保管している公文書館の解説です。株主が配当を長く待たされたこと、総勘定が1622年のあとに初めて示され、1647年からは4年ごとになったことは、ここによります。
Octrooi van de VOC(オランダ東インド会社の特許状、1602年)
補講1で使いました。会社を認めた文書の、17世紀のオランダ語の翻刻です。第7条に「10年ごとに総決算をする」とあります。原本の画像ではなく、書き起こしたものです。
Joint Stock Companies Act 1856, Table B
補講1で使いました。イギリスの1856年の法律に付いた、会社の決まりの見本です。少なくとも年に1回、収支を総会に出すこと、貸借対照表を毎年作ることが書かれています。会社が選んで使う見本で、全部の会社に義務づけたものではありません。
明治23年商法計算規定の制定の背景
補講1で使いました。明治23年の商法で、株式会社は半年ごとに決算をすることになっていたことは、この論文の説明によります。条文そのものではありません。
商法(明治32年法律第48号)
補講1で使いました。第26条に、財産の一覧と貸借対照表を「毎年一回一定ノ時期ニ」作るとあります。明治の条文なので、旧字体とカタカナで書かれています。
会社計算規則(平成18年法務省令第13号)
補講1で使いました。第59条第2項に、決算書を作る期間は「一年」を超えることができないとあります。いまの決算期が1年である根拠です。